2015年2月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 科学における論文の重要性 科学者にとって論文を書くことは最も重要な仕事である。科学研究の主要な最終生産物は論文である。それは、論文を書いて出版することにより、多分に属人的な発見や発明が、社会全体の知恵に昇華するからである。論文を読めば、誰でも(一定以上の技量と設備を持っていれば)発見された現象を再現し、自分のものとすることができる。それは、改めて試行錯誤して再発見するよりずっと短時間ででき、しかも簡単で経費もかからない。このように貴重な発見・発明を公表することの代償として、科学者たちは自分の論文の中でその論文を引用し、その発…
2015年1月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 書評 吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録 明治維新の思想的柱となった吉田松陰の著作集。松陰は、明治維新とその後の日本を語るには欠かせない思想家だ。当時、西欧諸国のアジア進出が進み、すでに清は蚕食されて国の体をなしておらず、日本も遠からず同じ運命を辿る危機にあった。どうやって日本の独立を守るか。彼の思考はその一点に集中する。彼の出した処方箋は、以下の3つに集約されると思う。1)鎖国をやめ開国して、諸外国と対等に付き合う。2)海外の進んだ科学技術を学んで、殖産興業、富国強兵に努める。3)天皇の直下に大学を作り、教員も学生も身分によらずに集めて、…
2015年1月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 書評 サハロフ回想録 アンドレイ・サハロフ著 ロシア水爆の父の回想録。上巻は生い立ちから、大学、大学院での研究生活。水爆開発への参加、その成功とアカデミー会員への特進などが語られる。私としては、論文や教科書でおなじみのロシアの物理学者が、生身の人間として登場し、そのエピソードが語られているのが興味深かった。ゼルドビッチ相似解やスニアエフ・ゼルドビッチ効果で天文学者には有名なゼルドビッチ博士は、恋多き男で多くの女性と関係を持ち、子供をなしたそうだ。著者との関係は複雑で、多くの共同研究を共にした「親友」ではあるが、著者の反体制化に応じて彼との関係も…
2015年1月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 ルーツと青春 金谷萬六 実家で先祖に関する文書を発見した。以下に書き写した。私の母方の姓は金谷である。萬六は母の祖父、私の曾祖父である。この文書を母に送ってくれた清次は萬六の次男、母の叔父にあたる。清次は私にこう語ったことがある、「親父(萬六)が自分を置いて、一人山に入って行ったことがある。出てきたときに『さあ、帰ろうか』とぽつんと言った。あの時、親父は首をつるつもりで山に入ったのかもしれない」と。先祖自慢になるかもしれないが、お盆が近いから許してもらおう。文書の性格から脚色があるかもしれないが、その概要は、私が清次、母か…
2015年1月6日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 ルーツと青春 五右衛門の足跡 今から約35年前のこと、私は大阪大学理学部物理学科の2年生だった。当時私は、恐ろしく古くてぼろの一軒家に一人で下宿していた。ある夏の終わりの夜、下宿の前まで来るとピーピー泣いている子猫がいる。この子と共同生活をすることになってしまった。私の部屋は本やら、新聞紙やら服やらが散乱するとてもひどい状態だった。一度、空き巣に入られたが、まったく分からなかったほどだ。しかし、この子の忍び技はすばらしく、そんな中でもカサとも音を立てない。それに感動した私は、この猫を五右衛門と名付けた。われわれの共同生活が「飼う…
2015年1月6日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 ルーツと青春 私の自由研究 私は山口県下関市彦島に住んでいた。本州の西端、九州に向かって突き出した岬の先端にある島である。彦島は造船で栄えた町だった。しかし、もう当時は韓国との厳しい競争に晒されて、構造不況に島全体があえいでいた。そのためか、島にはたくさんの空き地があった。どこも草が伸び放題。盛大に葉っぱを伸ばしたカヤの大株があちこちに見られた。私の家はそんな原っぱの中にあった。私は、カヤの葉の中心を走る白い葉脈に赤い斑点が点々とついている場合があることに気がついた。この斑点の原因は何か?それをつきとめることを研究テーマにした…
2015年1月6日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 ルーツと青春 H君とK君 H君とK君は、私の中学3年のころの友達である。彼らと深く交わるようになったきっかけは井上靖の小説「夏草冬濤」であったと思う。その後半に主人公とその友達が、文芸(哲学だったかな)同好会を作り、学校の各クラスを回って、演説し会員の勧誘をするエピソードがあった。当時それがNHKのドラマになって放映された。放映の次の日H君とK君が二人して私のところのやってきて、「あれがとてもよかった。ぜひ自分たちも同じようなことをしてみたい。ついては一緒にやらないか?」と私を誘ったのである。600人もいた同級生からなぜ私が…