2020年11月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 「複雑な系」への挑戦 17世紀後半のニュートンによる現代科学の創始から現在まで約350年の間、近代科学の発展に伴いさまざまな物理系の仕組みが解明された。太陽系や理想気体など単純な系に適用されて大きな成果を上げた。しかし、20世紀も後半になると単純な系の研究はほぼ終わり、単純でない系、つまり複雑な系が未解明で残った。 現代科学が今直面している複雑な系には、相変化を伴うガスや凝集系、生命体(脳や身体運動、個体発生を含む)、生態系、気候システム、プラズマ、自己重力天体(星、星団、銀河、そして宇宙全体)などが含まれる。これらの…
2018年10月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 ジェラール・ムルー氏のノーベル物理学賞受賞を祝う 今秋、ジェラルド・ムルー氏がノーベル物理学賞を受賞された。受賞理由は、レーザーのチャープパルス増幅法の発明である。この手法を使うことにより、レーザーパルスの継続時間を圧縮し、高強度(ペタワット=10の15乗ワット)を作ることが可能になった。 ペタワットの強度の実現は、レーザー航跡場加速に道を開いた。ペタワットレーザーパルスの中の電子は、レーザーの横向き電場による運動が相対論的に、つまり速度がほぼ光速になる。このことによる非線形効果のために、高強度パルスがプラズマ中を伝搬すると、強い航跡場がその周りに…
2018年8月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 伊能忠敬の挑戦 伊能忠敬は1795年に佐原から江戸に出て幕府天文方の高橋至時に入門し、天文学を本格的に始めた。当時彼は50歳だった。測量においては天測が重要である。例えば、現在のカーナビはGPS衛星を「天測」して自分の位置を割り出す。天文学と測量学、そして暦学は本来一体のものである。至時らは、最新の天体力学理論を考慮した「寛政暦」を1797年に完成させるが、さらに精度の高い暦を作るためには、地球の半径を知る必要があることに気づいた。例えば、地球の半径は子午線1度の弧長から計算できるが、当時日本で知られていた値には1…
2017年8月23日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 オランダ・ローレンツ委員会、水害を根絶する オランダは国土の4分の1が海面より低い干拓地である。常に水害に悩まされてきた。1916年には、北海の暴風雨に伴う高潮で、首都アムステルダムの北方の北ホラント州の大部分が浸水した。これに懲りたオランダ政府は、アムステルダムの北東に広がるゾイデル海の入り口を堤防で閉鎖して北海の高潮による水害を根絶する計画を立てた。 一方、ゾイデル海の入り口を閉鎖した場合、北海との境界にあるワッデン諸島と堤防の間の海域での干満差の拡大に懸念があった。それを考慮して、この部分の防潮堤をかさ上げしなければならない。問題は…
2017年2月9日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 ジェームズ・クック航海の偉業――天文学から航海術へ ジェームズ・クックの航海日誌を読了した。これは、エンデバー号による1768年から71年の足かけ3年にわたる第1回の太平洋航海に関するものである。航海の目的は69年6月3日に起こると予測された金星の日面通過の観測による金星・太陽間の距離の測定だったという。このために天文学者のチャールズ・グリーンが航海に同行した。日誌の過半は、その日の天候、風向き、天測による緯度・経度の記述で占められている。当時の風帆船の航海日誌としては当然である。さて、天測による経度・緯度の決定はどのように行うものだろうか。まず緯…
2016年3月9日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 研究者の生命線としての図書館 研究の進歩が加速している。ちょっと前までは一つの方法論を武器に20年は世界の一線で戦えた。つまり、大学院の頃、習い覚えた学問体系と手法で50歳前後まで頑張り、後は若い研究者を指導(搾取)しつつ、学会や組織間の利害の調整に時間を使って60歳の定年を迎えるというのが研究者の典型的なライフサイクルだった。 ところが今や、世界中の研究者との競争のため、ちょっとした手法の有利は5~10年で陳腐化してしまう。優秀な若手研究者が頑張って定職に就いて、40代になった頃に、彼(彼女)を支えていた手法が賞味期限を過ぎ…
2015年5月29日 / 最終更新日時 : 2023年8月9日 戎崎 俊一 科学論 農村衛生研究所設立趣旨文 左:李永春(イ・ヨンチュン)博士の胸像。右:李永春家屋に展示してあった農村衛生研究所設立趣旨文の写真。韓国のシュバイツアーと称される李永春(イ・ヨンチュン)博士の手による農村衛生研究所設立趣旨文。2013年5月に母とその故郷である韓国の群山を訪ねた折に、李永春家屋を訪問し、そこに展示されていた本文の写真を撮影し、その翻訳を同行してくれた金允智(キム・ユンジ)さんにお願いしていた。翻訳されてきた文章は、国民の困難に立ち向かう高潔な博士の人柄を反映し、素晴らしいものだった。特に、最後の「態度」の部分は、…