吉田松陰著作選 留魂録・幽囚録・回顧録

吉田松陰

講談社 (2013/11/12)

明治維新の思想的柱となった吉田松陰の著作集。松陰は、明治維新とその後の日本を語るには欠かせない思想家だ。当時、西欧諸国のアジア進出が進み、すでに清は蚕食されて国の体をなしておらず、日本も遠からず同じ運命を辿る危機にあった。どうやって日本の独立を守るか。彼の思考はその一点に集中する。彼の出した処方箋は、以下の3つに集約されると思う。
1)鎖国をやめ開国して、諸外国と対等に付き合う。
2)海外の進んだ科学技術を学んで、殖産興業、富国強兵に努める。
3)天皇の直下に大学を作り、教員も学生も身分によらずに集めて、上記の核とする。

この処方箋は、今から見ても基本線として正しい(今でも小国が独立を維持するためには同じことをしないといけない)。針穴を通してみる様にしか海外の情報を得られなかった彼の状況を考えると、この正しさは奇跡的であると私は思う。しかし、より具体的な策を立てるためには、この情報の少なさを打開しなければならない。そこで彼は、ペリー艦隊を頼って米国への密航を企てる。彼の思考は常に枝葉を切り捨てて根幹をとらえる。行動はまっすぐその延長線上に置く。全ての些末(自分の命も含めて)は切り捨ててしまう。

密航に失敗した彼は、自首して獄に下った。毛利藩預かりとなった後は、野山獄および松下村塾で教育にまい進する。その中から明治維新の原動力となった若者が輩出する。まことに明治政府はほぼ彼の処方箋に従って行動し、日本の独立を確保した。一方、針穴を通してみた世界の知識で作った彼の思想は、古事記・日本書紀に書かれた古代日本を理想とし、それを彼の思想の裏付けとした(そうせざるを得なかった)。この偏狭さは、明治・大正・昭和前半の日本政府の指導原理に限界を与えたと思う。

歴史にIfは禁物だが、彼の米国密航が成功し、この大秀才が世界を自分の目で見たら何が起こっていたかを、私は夢想せざるを得ない。勉強家の彼は、1年もたたないうちに、世界の歴史とその変動原理の本質を理解し、さらに高い観点から日本を導く指導原理を構築したに違いない。ペリー提督は日本の開国に成功したかも知れないが、大きな誤りを犯したと思う。彼がもし松陰を受け入れていたら、その後の日米関係は、全く違ったものになったはずだ。ここが、歴史の転換点だった。