H君とK君

H君とK君は、私の中学3年のころの友達である。彼らと深く交わるようになったきっかけは井上靖の小説「夏草冬濤」であったと思う。その後半に主人公とその友達が、文芸(哲学だったかな)同好会を作り、学校の各クラスを回って、演説し会員の勧誘をするエピソードがあった。当時それがNHKのドラマになって放映された。放映の次の日H君とK君が二人して私のところのやってきて、「あれがとてもよかった。ぜひ自分たちも同じようなことをしてみたい。ついては一緒にやらないか?」と私を誘ったのである。600人もいた同級生からなぜ私が選ばれたかわからない。これまでの言動から、こういうことをやるなら戎崎という判断があったのだろう。私は一も二もなく賛成し、3人である朝クラス周りをやらかした。

さっそく、担任と生徒指導の先生から呼び出しがかかり、普通の生徒を惑わすようなことをやめろとか、受験があるんだからよけいなことをするなとか、K君とはつるむなとかさんざんお説教をくらった。K君は在日朝鮮人であった。彼は学校の成績こそあまりよくなかったが、頭がよく、議論では手ごわいファイターだった。正直言って、当時はまだ朝鮮人に対する差別が根強くあったと思う。その中で、彼は朝鮮人としての誇りを持ち、出自を隠さず生きることにしたと言っていた。私はその勇気を尊敬した。また、差別がある社会で誇りを持って生きてゆくには、資格が重要だ、弁護士になると彼は言っていた。

先生から禁止されたクラス周りはやめたが、私たち三人は放課後ごとに集まっていろんな議論をした。先生のお説教は誰も気にしなかった。先生たちも、表立った行動をとらない限り黙認することにしたんだろう。もっとも、他の生徒のもっとひどい不良行為への対応で、先生たちは忙しかったに違いない。

H君は宗教哲学に興味を持っていた。彼の本を貸してくれて私に意見を求めたりもした。すでに科学者になる志を立てていた私は、そこに書かれていたことには満足できなかった。その中には、宗教と現代科学の関係について議論していた部分があったが、それにより宗教の権威づけに使っていると見た。H君は激しく抵抗した。私も自説を曲げなかった。激しかったが、楽しい議論だった。仏教経典の解釈とか、唯物論の批判と唯識論とかについて議論を重ねたような気がする。さらに議論は、原子力の是非や戦争、朝鮮との関係に及んでいた。それはとても未熟なものだったが、私たちは真剣だった。生半可な議論では、他の二人に馬鹿にされるだけだったから。

中学3年の春から夏は、よく三人で過ごしていたと思う。8月のある日に3人で海水浴に行った(きっと、井上靖の小説の真似だ)。その日は台風が接近中で海水浴場はひどいうねりが出ていたが、海に入るのが怖いとは二人に言えなかった。こわごわ海に入ったが波が高くてとても泳げず、浮輪代わりのタイヤチューブにしがみついているだけに終わった。見てみると他の二人もそうだった。よく無事だったものだ。よい子は真似をしないように。

この親密な関係も中学卒業とともに終わる。K君は朝鮮関係の高校に入学したと思う。卒業後会っていない。志通りに弁護士になっているだろうか?何になったにせよ、面白い人生を送っているに違いない。H君は、私とともに下関西高に進学した。彼は野球部、私は柔道部に入部して忙しくなったためか、議論しなくなった。議論の季節は終わり、実践の時が来たのを知っていたのかもしれない。今彼は、どうしているだろうか?私は、大阪大学理学部に進学し、本格的に科学者への道を進むことになった。
15歳の夏、約40年前の懐かしい思い出である。

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