研究者の生命線としての図書館
研究の進歩が加速している。ちょっと前までは一つの方法論を武器に20年は世界の一線で戦えた。つまり、大学院の頃、習い覚えた学問体系と手法で50歳前後まで頑張り、後は若い研究者を指導(搾取)しつつ、学会や組織間の利害の調整に時間を使って60歳の定年を迎えるというのが研究者の典型的なライフサイクルだった。
ところが今や、世界中の研究者との競争のため、ちょっとした手法の有利は5~10年で陳腐化してしまう。優秀な若手研究者が頑張って定職に就いて、40代になった頃に、彼(彼女)を支えていた手法が賞味期限を過ぎ、定職に就いた安心感と雑用の嵐に埋もれて、一気に保守化して研究者としては脱落していく例をよく見る。定年はどんどん伸びている。せっかく博士号を取得したのに、実質的には10年しか研究者として活動しないのは、もったいない気がする。
近年進歩の著しいITは、中年・初老の研究者に福音をもたらしている。ほとんどの研究誌が電子化されたので、研究室にいながらにして、多くの論文のコピーを集めて一気に読めるようになった。また、必要な情報(研究論文の書誌情報を含め)はインターネットで検索をかけ瞬時に得られる。これらを駆使すれば、衰えがちな体力(集中力)と記憶力を補って、研究に必要な情報を一気に頭の中に詰め込むことができるのだ。
私が学生の頃は、大学の図書館に籠もって、書庫の中を這(は)いずって目的の雑誌を見つけ、せっせと自分でコピーしなければならなかった。この作業だけで小一時間はかかり、せっかく頭の中に蓄積しつつあった研究情報も消えて、一から考え直しとなっていた。
ここ10年、私は自分が博士号を取った天体物理学の分野を超えていろいろな分野で論文を書くようになった。それは、周辺領域の計算科学、プラズマ物理、放射線科学さえも超えて、宇宙工学、惑星科学、放射線生物学、さらには地球科学、分子生物学、生物進化などに広がっている。それぞれユニークな視点を与えるオリジナリティーの高い仕事と自負している、その評価が定まるのは20年後だろうが。
それを可能にしたのは、図書館だ。研究所や大学の図書館は、書籍の所蔵もさることながら、研究誌の購読が大きな任務となっている。私が勤務する理研の図書館は「日本で唯一の自然科学の総合研究所」と謳(うた)うだけあって、多くの分野の雑誌を購読し、比較的早期に電子版購入に踏み切った。
また、理研が購読していない雑誌については、全国の大学・研究所の図書館が連携して運用している文献コピーサービスを愛用させてもらっている。1週間程度の遅れはあるが、ほとんどの研究雑誌のコピーを手にすることができる。大変ありがたいことだ。
現在、学際研究の必要性が叫ばれている。私の経験では、異分野の研究者の講演を聞いたり、一緒に談笑するだけでは、学際研究はその端緒さえにも至らない。講演に先立って関係する論文を読んで、自分なりに論点を予習しておくことが肝要だ。さらに、本番で講演者との真剣勝負の議論を重ね、講演後にも新たに見いだした論点に関する論文を読んで、引き続き復習するという努力が必要だ。予習と復習が重要なのは受験生だけではない。それを可能にするインフラストラクチャーの一つが、図書館をはじめとする充実した研究情報環境だ。
図書館は研究者が研究者であり続けるための生命線である。
SankeiBiz、2016年3月9日 許可を得て転載