ジェームズ・クック航海の偉業――天文学から航海術へ

ジェームズ・クックの航海日誌を読了した。これは、エンデバー号による1768年から71年の足かけ3年にわたる第1回の太平洋航海に関するものである。航海の目的は69年6月3日に起こると予測された金星の日面通過の観測による金星・太陽間の距離の測定だったという。このために天文学者のチャールズ・グリーンが航海に同行した。日誌の過半は、その日の天候、風向き、天測による緯度・経度の記述で占められている。当時の風帆船の航海日誌としては当然である。

さて、天測による経度・緯度の決定はどのように行うものだろうか。まず緯度は、太陽や星の南中高度(南半球では北中高度)を測定すれば、比較的正確に決めることができる。一方、問題は経度だ。正確な時計があれば天体の南中時刻から決めることができるが、温度とゼンマイの巻きの強さについての補償機構を持ち、ゼンマイを巻く間も時を正確に刻み続ける工夫をしたクロノメーターは、まだ実績がなかった。

時間測定1秒の誤差がおおむね200キロ(赤道上)の誤差に対応する。59年に製作されたクロノメーターH4は、イギリス・ジャマイカ間の航海の81日間で8.1秒しか狂わなかったという記録があるから、次第に精度が上がってきたとはいえ、クロノメーターに全幅の信頼をおけなかったに違いない。

クックが信頼を置いたのは、月と太陽、もしくは月と星の相対角距離の測定による経度決定法だった。月までの距離は38万4000キロであるから、0.1秒角程度の精度で月と他の天体の間の角距離を測って、理論的に求めた月の位置と比較すれば、船が地球上のどのあたりにいるかが200キロ程度の精度で決まることになる。

72年に始まる第2回航海ではクックもクロノメーターを採用している。多分、条件の良いときに天測をしてクロノメーターの誤差を補正しつつ両者を併用して用いたに違いない。

それにしても常に搖動する船上での天測は困難を極めたことは容易に想像できる。同乗した天文学者のチャールズ・グリーンが天測に専従し、航海士らに懇切に教えたおかげで、天体位置表などを駆使した天測からの経度の決定法を航海士らが身に着けた。

その結果、航海の必要上十分な0.5度以下の精度での経度決定が日常的に達成されるようになったという。この天文学から航海術への「技術移転」により、英国海軍および商船隊は他国に比べて格段の有利さを持ったに違いない。これが、「太陽が沈まない世界帝国」を築き維持するのにどれだけ役に立ったか想像に難くない。このように考えると、当時、天文学は非常に重要な実学だったことになる。英国ではどの大学でも天文学の講座があって幅を利かせているが、その起源はこの辺にあったのかもしれない。

航海日誌では、目印となる主要な岬や山頂の形と見える方角を、それを観察した経度・緯度とともに、綿々と記している。これらの情報があれば、続く航海者が経度・緯度を測定しつつその近くに来たときに見上げれば、目標の岬や山頂が見えるという具合になるはずだ。

こうなると手探りで進むよりずっと効率が良くなる。実際、クック自身かつて訪れた場所を再訪するときには、経度・緯度からそろそろあの山がこの方角に見えるはずとあたりをつけて船員をマストに登らせている。

このクックの航海で冒険の時代は終わったということもうなずける。航海が命がけの「冒険」から、ある程度計算できる「ビジネス」に変わった。その変化を導いたのが、天測による経度・緯度決定技術だったということになる。

フジサンケイビジネスアイ2017年2月9日
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