コロナウィルス感染爆発の起源について
アメリカ合衆国連邦議会下院に設けられたコロナウィルス感染爆発事後評価特別小委員会が2024年12月4日に520ページにも及ぶ大部の最終報告書を以下のURLで公開した。
https://oversight.house.gov/wp-content/uploads/2024/12/2024.12.04-SSCP-FINAL-REPORT-ANS.pdf
この報告書は、コロナウィルス感染爆発の原因となったSARS-CoV-2ウィルスの起源として中国の武漢ウィルス研究所からの実験室漏洩説を支持している。この研究所には、米国連邦政府からUSAID、そしてPeter Daszak博士が率いるEcoHealth Alliance, Inc.を通してウィルス機能獲得研究のために資金が流れていた。その機能獲得実験では、SARSウィルスのスパイクタンパクにあるフリン切断部位に変異を入れる研究計画が提案されていた。コロナウィルス感染爆発の原因となったSARS-CoV-2ウィルスのゲノムにはこの切断部位に変異があり、この変異こそが、このウィルスがヒトに感染する機能を持つための重要な要素だった。
実は、実験室漏洩説を否定する研究結果が、米国スクリプス研究所のAndersonらによって2020年に出版されている(Andersen et al. 2020)。私は、この論文を出版直後に読んだ記憶がある。その時私は、「妙に断定的に実験室漏洩説を否定している」との印象を専門外ながら持った。 例えば、SARS-CoV-2の受容体結合部位のアミノ酸配列は、それが結合するACE2との親和性をソフトウエアを使って予測してみると最大ではなく、より高い親和性を予測される配列が存在することを理由に、SARS-CoV-2ウィルスが人工的に作出されたものではないという結論を導いている。これは、少々軽率な結論だと思う。まず、ソフトウエアが出力するものは親和性の予測値である。実際に測定してみるとかなり違う場合もあることが知られている。
次に、ACE2への親和性はSARS-CoV-2の感染力を決める重要な因子ではあるが、それだけでは感染力は決まらない。宿主から放出されたウィルス粒子は、様々な環境を経て最終的に新しい宿主にたどり着き、次の感染を起こすが、その過程では、唾液滴中での活性維持や乾燥に対する耐性など様々な要因が関係していることは素人でも容易に想像ができる。それらが組み合わさって高い感染力を示すのだから、ACE2への親和性が最も高いウィルスだけを作出するのは、あまり賢くないような気がする。資金が許す限り、よさげな配列をできるだけたくさん試すのが賢いと思う。その結果、SARS-CoV-2の配列が残ったのかも知れない。
また、SARS-CoV-2ウィルスのゲノムに既知の逆遺伝子工学的手法を用いた痕跡がないことも人工起源説を否定する根拠として挙げられている。これも実験室漏洩説の否定の根拠としては不十分だ。まだ世界が知らない手法を武漢ウィルス研究所の研究者が開発したかも知れない。もしくは、逆遺伝子工学手法を全く用いなかった可能性もある。van Heldenらは、2022年に発表したプレプリントでウィルスにランダムな変異を起こし、その結果得られた変異株をヒト由来細胞に曝露して、実際に感染した株だけを選ぶことを繰り返すこと(いわゆる継代実験)で、ヒト感染性のウィルスを作成する可能性を指摘している(van Helden et al. 2022)。継代実験では、逆遺伝子工学手法は使わない。このような継代実験は武漢ウィルス研究所で日常的に実施されていた(Hu et al.2017; Ge et al. 2013; Yang et al. 2016)。
さらに、件の米国連邦議会特別小委員会の報告書には、逆遺伝子工学手法を使った痕跡を検出困難にする研究も武漢ウィルス研究所で企画されていたとの記述がある。
これらの可能性を考えると実験室漏洩説を反論の余地なく(irrefutably)否定できるとするAnderson et al. (2020)の主張は、明らかに早計であると思う。米国の研究者、より具体的にはEcoHealth Alliance, Inc.のPeter Daszak博士らが提案した手法ではなかったことは言えるかもしれない。しかしそれを強調するあまり、米国政府とEcoHealth Alliance, Inc.の危険な機能獲得実験への関与をかえって明快に浮きあがらせているようにも感じる。
人獣共通感染症起源説(自然流出説)を支持する残り二つの研究(Pekar et al. 2022; Worobey et al. 2022)についても見てみよう。まずPekar et al. (2022)は武漢における初期(2020年1月と2月)の患者のサンプルからのゲノム解析をもとにしている。ただし、感染のもとになった祖先形のゲノムが同定されていない現状では、断定的な議論ができないと著者ら自らが告白している。また、Worobey et al. (2022)は、武漢における初期の感染パターンの統計解析から、武漢海鮮市場が流行の原点であることを特定している。そこで売られていた動物からSARS-CoV-2に感染した個体(Racoon Dog、Amur Hedgehogなど)を発見したが、その流通経路の上流では発見できなかった。したがって、これらがヒトからの二次感染による可能性がぬぐえない。このように感染経路も、祖先形のウィルスとその宿主も特定できていない状況では、自然流出もしくは人獣共通感染症起源説は、決め手に欠くと言わざるを得ない。
一方で、実験室漏洩説も状況証拠のみで直接の断定できる証拠は今のところないように思う。件の米国連邦議会特別小委員会の報告書でもlikelyが多用されていることはその事情を示している。もっともそれは、武漢ウィルス研究所がコロナウィルス感染爆発の直後に閉鎖されている状況では仕方がないのだが、、、。関係者からの証言が全く得られないという状況は、科学者として残念に思う。van Helden(2022)は、このような状況では、科学者による開かれた徹底的な討論が重要であると指摘している。私も全く同感である。
1) Anderson, K.G., Rambaut, A., Lipkin, W.I., Holmes, E., and Garry, R.F., 2020, The Proximal origin of SARS-CoV-2, Nature Medicine, 26, 450-455.
2) van Helden, J., Butler, C.D., Canard, B., Achaz, G., Graner, F., Segreto, R., Deigin, Y., Colombo, F., Morand, S., Casane, D., Sirotkin, D., Sirotkin, K., Halloy, E.D.J., 2022, An appeal for an open scientific debate about the proximal origin of SARS-CoV-2, arXiv:2105.07865,
https://doi.org/10.48550/arXiv.2105.07865
3) Hu B, Zeng L-P, Yang X-L, et al. Discovery of a rich gene pool of bat SARS-related coronaviruses provides new insights into the origin of SARS coronavirus. PLoS Pathog 2017; 13 : e1006698.
4) Ge X-Y, Li J-L, Yang X-L, et al. Isolation and characterization of a bat SARS-like coronavirus that uses the ACE2 receptor. Nature 2013; 503 : 535–8.
5) Yang X-L, Hu B, Wang B, et al. Isolation and Characterization of a Novel Bat Coronavirus Closely Related to the Direct Progenitor of Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus, Journal of Virology 2016; 90 : 3253–6.
6) Pekar, J.E., Magee, A., Parker, E., Moshiri, N., Izhikevich, K., Jennifer L. Havens, J.L., Gangavarapu, K., Serrano, L.M.M., Crits-Christoph, A., Nathaniel L. Matteson, N.L., Zeller, M., Joshua I. Levy, J.I., Jade C. Wang, J.C., Hughes, S. Lee, J., Heedo Park, H., Park, M., Yan, K.C.Z., Raymond Tzer Pin Lin, R.T.P., Mohd Noor Mat Isa, M.N.M., Yusuf Muhammad Noor, Y.M. Tetyana I. Vasylyeva, V.I., Robert F. Garry, R.F., Edward C. Holmes, E.C., Andrew Rambaut, A., Marc A. Suchard, M.A., Andersen, K.G., Worobey, M., and Joel O. Wertheim, J.O., 2022, The molecular epidemiology of multiple zoonotic origins of SARS-CoV-2, Science 377, 960–966.
7) Worobey, M., Joshua I. Levy, J.I., Lorena Malpica Serrano, L.M., Crits-Christoph, A., Jonathan E. Pekar, J.E., Goldstein, S.A., Rasmussen, A.L., Kraemer, M.U.G., Chris Newman, C., Marion P. G. Koopmans, M.P.G., Marc A. Suchard, M.A., Joel O. Wertheim, J.O., Lemey, P., David L. Robertson, D.L., Garry, R.F., Holmes, E.C., Rambaut, A., andAndersen, K.G., 2022,The Huanan Seafood Wholesale Market in Wuhan was the early epicenter of the COVID-19 pandemic, SCIENCE, 377 (6609) , pp.951-959.
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