東海地震について
図1:東海地方では2000年から2003年にかけてスロー地震が起こった
Ando1975によれば、白鳳時代から現代まで南海トラフで起こったM7以上の巨大地震の記録が残っている。地震で動いた領域を土佐湾沖(A)、紀伊水道沖(B)、熊野灘沖(C)、遠州灘・駿河湾(D)に分けて議論すると、両者が同時に起こる場合と、東南海部分(CとD)が先に動き、南海部分(AとB)の地震が数年後に起こる二つのパターンがあることがわかる。
Table 1: 過去の南海トラフ巨大地震(Ando 1975)
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発生年 場所 規模 注
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684 AB 8.4 白鳳
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887 ABCD 8.6 仁和
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1096 CD 8.6 永長
1099 AB 8.4 康和
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1360 C? 7.0
1361 AB 8.4 正平
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1498 CD 8.6 明応
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1605 AB 7.9 慶長
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1707 ABCD 8.4 宝永
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1854 CD 8.4 安政
1854 AB 8.4 安政
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1944 C 8.19 昭和
1945 AB 8.19 昭和
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Ando 1975は、1944年の東南海地震のさい東海地方(D領域)が動かなかったと結論し、エネルギーが蓄積しており、今すぐにでもこの部分で地震が起こるかもしれないと主張している。これが未だに東海沖地震の根拠として扱われている[1]。
ところが、Ando 1975論文には、1944年の地震でC領域が動いた証拠はたくさんあって説得力があるが、D領域が動かなかった証拠が不明確である。1944年は太平洋戦争末期で戦意高揚のために、地震被害が隠ぺいされていた可能性があるという。信濃でも震度6が記録されたのに握りつぶされたというような報道があった。もしそれが本当だったとすれば、東東海、甲斐、信濃方面の震度の記録が低すぎる結果、東海方面の断層活動が過小評価されている可能性がある。 実際、相模湾領域東半分の単独破壊を示すような地震は、現在のところ過去1000年の地震資料からは確認されない[2]。
普通の地震の代わりに、東海地方でスロー地震が2000年から2003年にかけて観測された。その積算マグニチュードは7を超えた[3]。D領域のエネルギーは、スロー地震で解放されていて単独破壊は基本的には起こらないが、C領域トリガー時には、エネルギー蓄積に応じて動いたり動かなかったりしているのかも知れない。
上の表をみると、1360年の地震ではD領域の動きが不確定であるとされている。これが前例と考えられなくもないが、その1年後、引き続いて起こった1361年の正平大地震のほかには、100年後の宝永地震まで東海地域(D領域)で大地震が起こった形跡はない。また、南海トラフでは、前の大地震が起こってから次の大地震が起こるまでに少なくとも90年経過している。
東海地方の地震としては、1944年の昭和東南海地震から90年が経過した2034年以降の発生を心配すべきかもしれない。あと23年しかなく、それまでに原子力発電所を含めた十分な対策が取られることを期待する。
1) Ando M. 1975, Source mechanisms and tectonic significance of historical earthquakes along the Nankai trough, Japan, 27, 119-140.
2) 石橋克彦、佐竹健治、1998年、地震、第50巻 別冊1-21ページ.
3) Kawasaki, I., 2004, Earth Planets Space, 56, 813–821.