S学問とY学問の興亡

学問の名前にはYで終わるものとSで終わるものがある[1]。前者はAstronomy(天文学)、Geology(地質学)、Biology(生物学)、Chemistry(化学)、Phylogeny(進化学)、Geography(地理学)、History(歴史)などであり、後者はPhysics(物理学)、Mathematics(数学)、Genetics(遺伝学)、Statistics(統計学)、Dynamics(動力学)などである。前者は、発見の学問であり、対象物を分類し記載する。新種を発見し記載することが最も称賛される。Y学問の研究者は、他との違いを強調する傾向があり、体系化を本能的に嫌う。アーネスト・ラザフォードが「切手蒐集」と揶揄したように[2]、趣味の世界との境界は曖昧である。

一方、S学問は、体系化の学問であり、対象物の性質を少数の仮定と方程式により説明することを目標とし、数学との相性が良い。S学問の研究者は、対象物同士の小異を捨て大同を大事にする要素還元主義者である。一方、Y学者からは、「無味乾燥」、「帝国主義」、「単色の世界」と批判される。確かに、S学問が確立してしまった分野は、変化は簡単ではなく、しばらく学問の進歩は止まってしまう。むしろ産業への応用が大事になってゆく。

学問分野は、Y学問により探検、開拓され、S学問によって体系化されて完成を見るという発展形態をとることが多い。20世紀の前半は、19世紀後半に得られたY学問的知見をもとに、天文学と化学の物理学による体系化が進行した。一方で、物理を応用した観測・測定手段が天文学と化学のフロンティアを広げた。分光、電波や紫外線、エックス線などの新しい測定手段により、新種の天体、化合物、反応経路が発見され、Y学問としての側面も活発だったのが化学と天文学だった。これは、S学問たる物理学が周辺のY学問である天文学と化学を侵略したと見えなくもない。「物理帝国主義」とはまさにこの現象を意味したと思われる。

一方、生物学と地球科学の体系化は20世紀の間は進行しなかった。20世紀後半には、天文学、化学における変化はひと段落したこともあって、物理学は停滞した。代わって生物学が分子生物学を中心に華やかに進歩した。

しかし、21世紀になって、状況が次第に変わりつつある。まず、生物や地球は諸量が非線形に強度に相関する系であり、そのようないわゆる複雑系を記述する手法が20世紀中はまだ未発達だった。ところが、20世紀後半に、それらを取り扱う手法が複雑系科学や非線形物理、素粒子物理学の分野で急速に発達し、コンピュータの発達で大規模なシミュレーションが可能になった。それらを適用することにより、非線形な系のふるまいを曲りなりに理解し、記述することが可能になりつつある。また、地球に関しては、20世紀後半になって、人口衛星を用いた全球スケールの観測が行われ、数十年の蓄積を得た。さらに、生物に関しては、主なモデル生物の全ゲノム配列が解読されて、種同士の関係や、遺伝子(群)の進化が定量的に議論されるようになった。もちろん、これらの新データの蓄積は、物理学から派生した各種のセンサーの発達による。約50年の手法開発とデータ蓄積の準備期間を得て、21世紀前半は、物理学(Physics)と遺伝学(Genetics)をはじめとするS学問が、地球科学と生物学を体系化するかもしれない。

1)このことを私に教えたのは小平圭一だった。
2)Ernest Rutherford, “All science is either physics or stamp collecting”