農村衛生研究所設立趣旨文

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左:李永春(イ・ヨンチュン)博士の胸像。

右:李永春家屋に展示してあった農村衛生研究所設立趣旨文の写真。

韓国のシュバイツアーと称される李永春(イ・ヨンチュン)博士の手による農村衛生研究所設立趣旨文。2013年5月に母とその故郷である韓国の群山を訪ねた折に、李永春家屋を訪問し、そこに展示されていた本文の写真を撮影し、その翻訳を同行してくれた金允智(キム・ユンジ)さんにお願いしていた。翻訳されてきた文章は、国民の困難に立ち向かう高潔な博士の人柄を反映し、素晴らしいものだった。特に、最後の「態度」の部分は、そのまま理化学研究所のモットーにしてしたいほどのものだ。

母は帰国後、あの建物と風景は見覚えがあると言い出した。小学校の時にアデノイドの切除手術のために入院したという。その執刀は、李永春博士ご自身だったかもしれない。

李永春家屋は、当時この周辺の大地主だった熊本利平が立てた別荘だった。日本の京大に入学して韓国最初の医学博士となった李永春博士は、熊本農園で医者として働く傍ら、韓国農村部の衛生状態の改善のため、農村衛生研究所の設立を志した。熊本氏は、その意義を認め、熊本農場の利益で農村衛生研究所の運営費を支弁することに合意したが、日本の敗戦でそれがご破算になったという。その後、李永春博士は大変な苦労をして、農村の衛生状態の改善に努力し、韓国のシュバイツアーと称されるほどの業績を残した。
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農村衛生研究所設立趣旨文

研究所の目的と態度

個人の一生に長短と盛衰があるように、民族においても盛衰興亡がある。

人類史上、輝かしい文化を作り上げたローマとギリシア民族は、都市の文化生活の産物である贅沢と享楽、堕胎の流行と健康の衰微により、民族生物学的退行現象の現れと共に、異民族による置換で衰亡した事実は、歴史的文化民族と現代の文化国家でも、事実として立証されつつある。民族の将来は、正に、その民族の健康(質)と人口の増加(量)にかかっていることが分かる。

我々は、過去40年間異民族の統治下で苦しみながらも、民族の純粋性と固有文化を確保しつつ、現代文明を吸収し、社会の各方面で多くの発展を成し遂げた。しかし、このような発展は都市部に集中していて、我等の農村は40年前とあまり変わらず、むしろ、農村の核となるべき人物のほとんどが都市に移住してしまっている。まるで、活気を失った去勢者のようだ。

我等の人口の7割は農民で構成されている。それは、農民の健康な農村文化の発達の可否が、民族と国家の運命を決定するということであろう。都市の文化だけ高度発達を遂げたとしても、半身不随的な役割に過ぎないということを、識者たる者は厳粛に省察するべきである。

私は過去15年間、農村医生活での体験と調査を通して、民族退化という逆現象が展開されていることを切実に感じている。この状態が放置されると、将来的に歴史的な衰亡を繰り返すしかない運命であると痛感している。

結核病は年々蔓延し、農民の1割5分は暫定性梅毒患者である。また、9割内外が寄生虫の宿主で、そのうち十二指腸虫と肝臓ディストマように、命に危険を及ぼす寄生虫が、地域的な差はあるものの、徐々に増加しつつある。以上の3代疾患は、民族毒の代表者である。尚、世界最高位の乳幼児死亡率、各種急性伝染病は、文明国では珍しい疾病である。多くのの疾病、飲料水と衣・食・住の不完全、不健全な生活環境など、農村は一般の想像を超える健康を妨げる条件で充満している。

このような状況を対処する現代医療施設、公衆衛生と生活指導は、ほとんど行なわれておらず、命の保護を訴えることもできない。原始的な民間療法と漢方治療に頼り、または、巫女の祈りに命を託すなど、貧困と疾病の二重苦で苦しむのが農村民の実情である。

1646年、国際連合は、世界保健機構規約で、健康というものは完全な身体、精神及び社会的福祉を受けられる状態を言うものであり、決して、疾病が無く、弱くない状態であることだけを言っているわけではないとしている。最高水準の健康を享有することは、人種、宗教、政治、経済、社会の情勢に関係なく、全人類に与えられた権利であり、安全保障の基礎である。一つの国家の健康増進保護の達成は、一般市民、多くの国家の利益になるため、各国の政府は、国民健康確保に重大な責任があると宣言した。

新生大韓民国が国際舞台の一員として登場するようになった今日、政治家と医学者、全ての指導層が、民族の健康動向を正確に把握、認識し、確固たる国策の樹立と実践をすることで、民族の進路に希望と光明が見えてくることを期待してやまない。

農村に居住し、農村の現実に関心を持っている私は、世界保健機構創立精神に順応しながら、過去の農村医療事業を基礎とし、農村衛生研究所を創立、健康な農民を育成することで農村文化発展を図りたいのである。

1948年11月
研究所長 李永春(イ・ヨンチュン)

目的

1.民族の永遠な発展は、健全な農村にその源泉があることを確信し、医学上合理的に擁護したく、研究、努力する。(農村衛生)

2.現代公衆衛生学の理論と指導原理を応用し、農村社会と農民生活を究明批判して、健康を妨げ、体力を消耗させる生活条件とその内容を改善、革新する。(調査研究と衛生指導)

3.農村の現実は、医療施設を至急求めている。したがって、医療施設の普及、促進と共に、公衆衛生指導の実践をすることで、医学の両面活動を展開する。(医療施設の普及)

態度

1.祖国文化建設の目的達成は、知識と技術だけでは到達できないと信じている。真理を探究する科学者には、奉仕の道徳と人格の修練が求められる。我等は、知識技術の練磨と共に、人格の修練を、この研究所の基本的態度として定めたい。(奉仕の道徳、人格の修練)

2.我等の農村の現実は、あまりにも難関が多すぎる。しかし、その難関を解決しなければならない現実と向き合っている。そのため、研究者は、多大な忍耐と努力が求められることを覚悟し、それを勇敢に突破して行こうとする。(忍耐と努力)

3.我等の事業は、国家と社会の絶対的な理解と協調を要求する。特に、青年医学生の奮発と協調で、使命を完遂していく。(協調精神)

翻訳:金允智(キム・ユンジ)