人間の脳を超えるスパコンで人間性の実証的研究
人間の脳は、どれくらいの性能の電子計算機と等価なのだろうか。神経細胞の数は約1000億個といわれている。1つの神経細胞は、約1ミリ秒に1回、1000から1万個の別の神経細胞から情報を得て、自分の興奮状態を決めると教科書には書いてある。そこで行われる演算は「積和演算」だ。それが1000億個あることを考慮すると、1秒間に20京~200京の速度を持つ計算機で、人間の脳と等価になる。
最近は、脳の神経細胞の性質が、詳しく分かるようになっている。神経細胞の多くは小脳にあって、その大部分の入力数はかなり小さい。大脳にある神経細胞の一部は、網の目のように多点で結合しているものがあるという具合だ。これらを考慮しても、人間の脳は1秒間に10京~100京回演算をする電子計算機と思えばいい。
一方で、世界最速のスーパーコンピューターの開発は、日米中でしのぎを削っている。当面の開発目標は1秒間に100京演算を実行できるスパコンで、2020年をめどにプロジェクトが進んでいる。つまり、20年ごろには、計算効率を考慮しても人間の脳全体の処理速度に匹敵するスパコンが出現する。この計算機の開発が浮上した時期に、計算機に基づいた人工知能(AI)が人間臭い行動をし始め、よく定義された問題では人間の能力を追い越し始めたのは、偶然ではないと考える。
人間の知能をAIが超えてしまい社会が根本から変わってしまう「シンギュラリティ」が20年ごろを起点として起こるのは、計算機の性能向上を考えると必然だ。逆に、積和演算がひたすら速い超並列マシン、いわゆるスパコンを開発することがAI研究の最重要課題となったということも言える。脳型コンピューターは、行列演算に特化したスパコンに収斂(しゅうれん)したのだ。
では、演算処理速度としては、人間の脳に匹敵する100京マシンは、人間の脳を代替できるだろうか。その答えは、ある意味では「イエス」であり、ある意味では「ノー」だろう。本当に大事な問いは、何ができて何ができないのかを検証し、その理由は何かを明らかにすることである。そのための数値実験が20年代に盛んに行われるようになるだろう。
人間心理、文学、音楽、詩、哲学など、これまで人間のみが直接関与できた研究分野が、電子計算機を使って実証的に検証しながら研究が進むようになるはずだ。人間の脳の中の状態を詳細に把握することは難しい。しかし、その機能を電子計算機に移すことができるのならば、電子計算機の内部情報はいかようにでも把握できる。これまでの文系学問の研究が、電子計算機を道具に理系の手法を取り入れて一気に加速するかもしれない。
さらには、人間の理解が一層進むだろう。脳の解剖学的なデータや神経細胞の結合を詳細に調べて、それを電子計算機で模倣すればその動作が手に取るようにわかるはずだ。その過程で人間を特徴づける脳の特殊性と普遍性が明らかになるだろう。
今のところ人間の専売特許である「創造性の発揮」の謎が解明されるかもしれない。ただし、行列演算主体のスパコンによる、神経細胞をたくさん集めただけのシステムが創造性をバリバリ発揮するとは、実は私も思っていない。それでも、それをやってみることには、重大な意味がある。実は予想が間違っていて、創造性が生まれたら、それでよし。もし、うまくいかなくても何が足らないのかがおぼろげながら見えてくる。それを克服する方法を模索することが次の研究段階となる。科学研究はこのように曲折しながら進んでゆくものだ。そのような研究の中から、「人間性とは何か」という根本的課題に対する答えが得られるかもしれない。