海底地滑りによる津波災害拡大
2011年3月11日の東日本大震災では、巨大津波が1.5万人を超える人命を奪い、東北地方太平洋沿岸に未曽有の災害をもたらした。このときの津波データを見ると、震源に近い仙台市周辺よりもかなり北に偏った岩手県陸前高田市から同宮古市にかけての三陸沿岸を並はずれて高い40メートルの津波が襲来したことがわかる。このような現象は、リアス式海岸の地形効果のみで説明できるのだろうか。
東京大学のゲラー教授ら国際チームは、津波の波形データを詳細に調べた。その結果、津波の観測データを説明するためには、震央に近い波源の他に、もう一つ別の波源も必要であることを見いだした。この波源は、震源の北北東約150キロの三陸海岸沖の日本海溝陸側斜面に位置する。その付近の海底水深を地震前後で詳細に比較したところ、数十メートルにおよぶ海底面の変動が約40×20キロの面積でみられた。
それは大規模な海底地滑りが地震の直後にここで起こったことを示している。この場所は、海溝陸側の最も急峻(きゅうしゅん)な(勾配角度が20度を超える)斜面である。陸側から河川によって運ばれて堆積した土砂が地震によって崩落を始め、大規模な海底地滑りに至ったと考えられる。ゲラー教授らの解析によるとこの海底地滑りによる第2波源は、地震発生後25~35分のちに、鋭い波高(8メートル)のピークを作りだした。これが地形効果でさらに増幅され、最終的に40メートルを超える津波が三陸沿岸を襲うこととなった。この余分な波源さえなければ、三陸海岸における津波波高は、地形効果による増幅を考慮しても10メートル程度にとどまった可能性がある。
海底では土砂が未固結のまま堆積するので、緩斜面でも重力不安定となって地滑りが起こる。また一度発生すると数十キロから数百キロもの距離を延々と走ることが知られている。米国ハワイ州オアフ島北東沖に広がる地滑り跡は、総面積は2万3000平方キロに達し、四国のそれ(1万8300平方キロ)を超えている。このときの津波は、はるか太平洋を越えて北米西海岸に達し、その波高は10メートルを超えたと考えられている。同様の大規模な地滑り跡が、ノルウェー沖や北米東海岸のノーフォーク沖、インドネシアのジャワ島南方の海溝、大西洋カナリー諸島周辺に発見されている。
同様の災害は日本でも江戸時代の1792年に起こった。「島原大変肥後迷惑」である。前年から続いた普賢岳の噴火で、眉山の南側部分が地滑りをはじめ大量の土砂が有明海になだれ込んだ。その結果、島原側で6~9メートル、対岸の肥後側で4~5メートルの津波が襲い、甚大な災害を引き起こした。これは、陸上で起こった地滑りが海中まで続いた例であるが、その津波発生メカニズムについては同じと考えてよい。
熊野灘沖は、西南日本太平洋沿岸において、近い将来発生する可能性が最も高い東南海地震の震源域である。濃尾三川(木曽川・揖斐川・長良川)起源の伊勢湾からの土砂と日本一の雨量を誇る紀伊山脈からの土砂が、熊野灘海盆に堆積して東南縁の急斜面付近(南海トラフ陸側斜面)で重力不安定場を形成し、海底地滑りがいつ起こってもおかしくない状況にある。実際、海底調査において、大規模な地滑り跡が発見されている。この地滑りがいつ起きたのかは不明だが、三重、濃尾、東海地方に大きな津波災害をもたらした1944年の昭和東南海地震の津波にも寄与した可能性もある。
このような新しい知見を生かせば津波災害を減らすことが可能かもしれない。地震で誘発されて、同時多発的に大規模な地滑りが起これば大災害となるが、海底地滑りの原因となる重力不安定堆積物を計画的に多数回に分けて除去すれば津波災害を軽減できる。根絶とまではいかないまでも、例えば最大波高を半分にできれば、格段に被害は減る。深度2~4キロの深海底での作業は容易ではないし、見込み違いも起こるだろうが、津波となれば甚大な被害となる。津波被害の予防的軽減に向けて、科学技術の力で今こそ真剣に取り組むべきだと考える。
フジサンケイビジネスアイ 2016年9月 許可を得て転載