This Is Your Brain on Music: The Science of a Human Obsession
This Is Your Brain on Music: The Science of a Human Obsession
Daniel J. Levitin (著) 2006
音楽が人間の脳の中でどう処理されて認識に至るかに関する良著。著者は、大学を中退の後、カリフォルニアでロックバンドに参加した。バンドの崩壊の後、録音技師やプロドューサーとしてスティービー・ワンダーなどの有名なアーチストと仕事をした。音楽アーチストの創造の現場を間近に見た経験を基に、音楽が人間の耳と脳でどのように処理されるのかを理解するためにスタンフォード大学に入学して大脳生理学の研究を始めた異色の経歴を持っている。
まず、著者は音楽の構成要素の議論から始める。まず音が持つ性質として、音程 (pitch)、リズム (rhythm)、テンポ (tempo)、音色 (timbre)、音量 (loudness)、反響 (reverberation)が説明される。さらに、それらを基に脳が作り上げる高次の概念として韻律 (meter)、キー (key)、旋律 (melody)、和音 (harmony)の意味が記述される。確かこういう話は高校の音楽の時間で習ったような気がするが、すっかり忘れていた。当時はイメージが湧かなかったので授業が苦痛でしかなかったが、今はわかるような気がする。そして、音が人間の耳と脳の中でどのように処理され、構成要素に分解され、高次概念に統合されているかが説明される。
音楽では1オクターブ(周波数で2倍)離れると、同じ名前の音に戻るが、その理由が初めてわかった。すべての楽器が出す音は、基本周波数だけでなくその倍音を含んでいる。したがって、ある音程、例えば「ド」の音を弾くと、周波数で2倍、3倍、4倍の倍波が必ず混ざる。それらは区別できないし、区別する必要がない。つまり、同じ名前で呼ぶ方が便利なのだと。また、西洋音楽では、1オクターブの中の12音のうち(普通の人間が区別できる限界)、7音(つまりドレミファソラシ)しか使わないのも、混じると変な感じの唸りがする音の組み合わせを避けているのではないだろうか。
著者は、音楽形式に則った脳による予測に対して、微妙にタイミングや音程をずらすことが音楽の妙味であると主張する。それにより脳は驚き、それが適度な場合はそれを好む。一世を風靡した歌や長年演奏されている音楽は何らかの意味でそのような驚きが隠されていて、大きな効果を上げていると言う。著者の同時代の歌や音楽を例にしてのこの主張には説得力があった。
では著者は、どんな研究をしたのだろうか?録音技師の経験を基に以下のような実験を行った。特別な音楽の訓練を受けていない人々に、自分の最も好きな(したがって何度も聞いて覚えている)歌を、そらでどれくらい正確に再現できるかを実験で確認してみた。驚くべきことに、彼らの大部分はリズムも音程もほぼ正確に再現したのだ。この事実を日本人は、納得できると思う。十八番は、カラオケなしでも再現性高く歌う人が多い。では、脳はテープレコーダーを持っているのだろうか。どうもそうではない。脳は歌を早送りすることができる。つまり、アルファベットの文字の順番を思い出すときに、アルファベットの歌を心の中で早回しで歌うことがある。テープレコーダーを早回しすると音程が上がるが、脳の早回しは音程が変わらない(早回し歌を声に出して歌ってみるとわかる)。人間の脳は器用にも、それぞれの音程を覚えていて、それを順々に正確なタイミングで出力しているのだ。
脳の中でこれができるのはどこか?著者らは、小脳に着目する。小脳は運動時のタイミングを記憶して必要な時に出力している。これが音楽でも働いていると十分考えられることだ。そこで、著者らは、fMRIを用いて音楽を聴いている脳内の活動度を撮像してみた。その結果、耳で電気信号に変えられた音信号は、まず聴覚皮質で前処理を行った後に、前頭葉のBA44とBA47(音楽の構造と予想処理を行っている)を経由して、中脳辺縁系に送られていることがわかった。この間、小脳と大脳基底核はずっと高い活動度を示し、リズムと韻律の処理をサポートしていると思われる。中脳辺縁系は、覚醒、喜びを司っており、特に側坐核は励起されるとドーパミンを分泌する。このようにして音楽を聞くことは、側坐核の放出するドーパミンにより報酬が与えられ、関与する神経回路が強化されていると考えられる。
上に述べたように、音楽処理機能は人間の脳の基幹的な部分に組み込まれていることが分かる。また、地球上のすべての現生人類のコミュニティで、音楽とダンスはその生活と文化に深く根ざしている。また、5万年前の遺跡から動物の骨で作られた笛、つまり楽器が出土している。これは、音楽が現生人類の進化のかなり根元から重要であったことを示している。なぜ、人にとって音楽がこんなに重要なのだろうか?著者は、二つの理由を挙げている。まず、ダーウィンが最初に言ったように、性淘汰である。歌や演奏、ダンスがうまいことは、強いセックスアピールとなる。それは身体が健康で心が活発であることを示しており、生存能力が高い子孫を残すための重要な指標だというわけだ。著者が実例としてあげるロックスターたちの異様なモテ方は性淘汰説を裏書きしているのかも知れない。もう一つの可能性は、コミュニティへの求心力の維持である。メンバー全員が集まっての歌え踊れの大騒ぎは、娯楽が少ない中で頭が真っ白になるぐらい楽しかったはずだ。それはコミュニティへの求心力と忠誠心の核になるだろう。それは社会生活を生き残り戦略の一つとしてしまった現生人類の重要なツールだったに違いない。
高校時代、手先が不器用で楽器をうまく操れない私には、音楽の授業は苦痛でしかなかった。こういう内容の授業だったら、もう少し音楽の授業に興味を持てたのになあと率直に思う。で、著者の生年をみると、私の一つ上でしかない。同時代人だ。彼が例に挙げるビートルズ、ローリングストーンズ、カーペンターズ、ルイ・アームストロング、コルトレーン、スティービー・ワンダー、レッド・ツェッペリン、その他たくさんの例は、私の中学から高校にかけて最も音楽に興味を持っていた時代にラジオから聞こえてきた音楽だった。したがって、当時高校生だった著者はまだこんな研究を将来するなんて想像していなかったに違いない。今の高校生に脱線話で聞かせてあげるときっと喜ぶに違いない。
さて、今やパソコンが速くなって、音源のスペクトル解析が実時間でできるようになった。シンセサイザーもPCプログラムで簡単にできる。こうなれば、同じ高校の軽音楽部とかブラスバンド部と組んで科学部が、いろんな解析や音楽作りに挑戦してみるのは楽しいかも知れない。