韓国併合への道(完全版) 呉善花著
韓国の李朝末期から、日本による韓国併合とその統治、そして戦後の韓国における反日政策について淡々と描かれている。李朝末期、西欧による植民地化が迫る中、韓国では貴族階級である両班たちは民衆の困窮を顧みず、派閥の闘争に明け暮れて国政改革が進まない。宗主国である清国の軍隊は、民衆・市民を略奪して憚らない。日本の支援を当てにした金玉均のクーデターは失敗し、韓国内からの改革の可能性はなくなった。親日勢力が後退するなか、親露派のクーデターが起き、国王がロシア公館に居住するなど、李氏朝鮮はロシアの保護国になり下がって低迷が続く。一方で、日清・日露戦争を勝ち抜いた日本が1910年に韓国を併合してしまう。
日本による統治は、「日本本土と等しい社会基盤を取りそろえた国に作って永久編入しようとする野心的な支配計画」にのっとったものだったという。近代的な土地・財産制度を確立し、土地の調査により所有者をはっきりさせた。北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では開墾、干拓、灌漑事業が急速に進んだ。鉄道、道路の敷設、港湾施設の整備、電信・電話などの通信施設の敷設が行われた。1920年までに植林された苗木は10億本におよび、米の生産高は併合時の2倍を超える2200万石に達した。朝鮮半島の人口も1310万人から、2500万人に増えている。学校数は併合時には4年制の普通学校100校しかなかったものが、1944年には国民学校(6年制)が5960校に増え、識字率も10%だったものが22%まで増えている。これらの努力は、近代国家としての韓国の基礎となるのもので、現在の大韓民国に生かされていると思う。
他民族による植民地支配が、綺麗事で済むはずがなく、日本の韓国併合は、現在の民族自主独立の原則と価値観に照らして、当時の西欧諸国によるアジア・アフリカの植民地支配とともに厳しく糾弾されなければならない。一方で、日本の朝鮮半島の植民地統治が、当時の西欧の植民地当時に比べ、少なくとも過酷ではなかったことは明らかだと思う。搾取の対象というよりも第二の北海道:フロンティアとしての投資と開拓の対象と認識していたと考えられる。韓国の歴史家は、日本帝国主義を批判すると同時に、日本の代わりにロシアの植民地になっていたらどうだったかを、また、金玉均のクーデターが成功していたらどうなったかをまじめに検討してもらいたいと思う。
私の母からは、「韓国は禿山ばかりで、山に木がなかった。川は濁っていた。日本に帰ってきて緑の山と、青い川を見ていいところだと思った。」と聞いていた。たぶん、山の木は燃料として薪に使われて禿山ができ、土砂崩れが頻発して川が濁ってしまっていたのだと思う。今回、母を連れて韓国を旅行したが、韓国の山は見事に緑の木に覆われていた。川は青かった。その点で韓国が戦前とずいぶん違うことは母も確認した。戦前の日本人の植林で一定の成果を得、それを引き継いだ韓国人たちが育てて今に至ったものだと思う。山の森林こそ、文明の基礎である。韓国における森林の回復に日本人の貢献があったとするならば、楽しいことだ。