七大学柔道の精神

大阪大学に入学した私が打ち込んだのは柔道だった。阪大の柔道部は全国七大学柔道優勝大会での優勝を目標としている。この大会は、戦前の高専柔道の流れをくみ、いつでも寝技に入れる独特のルールで15人勝ち抜き戦で行われる。北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大学、九州大が参加している。
柔道は他の格闘技と同様に、体格がよいものが有利である。また、立ち技は持って生まれたバランス感覚が重要で、それを練習で埋めることは困難である。では、体格にも才能にも恵まれないものが、主役となりえる柔道はないのだろうか。その答えが七大学柔道である。その精神は、井上靖の小説「北の海」に語られている。練習量が全てを決める柔道だ。高校時代にこの小説を読んで感動した私が、この寝技中心の柔道に、どっぷり浸ることになった。
寝技は手順が重要である。また、足を手のように自在に用いれば、どんなに体格に差があっても対抗することが可能だ。少なくとも引き分けに持ち込むことができる。もちろん、相手に倍する運動量で先手を取り続けないと次第に体格の差がでて、動きを封じられてしまう。
15人の勝ち抜き戦には特別な意味がある。相手がどんなに強くても引き分ける、もしくは1人は抜かれても、次の者がきちんと止める、あわよくば抜き返すことが重要になる。たとえ負けが確実な態勢であっても、最後まで抵抗を続けて疲労を強い、次のものに希望を託さなければならない。実は1人抜いた後に地獄が待っている。
疲れ切り、息が上がった状態で次の元気な選手と対戦し、少なくとも引き分けに持ち込まないと最初の勝利は無に帰する。そのために何にもまして練習量が大事になる。1人か2人強い選手がいても七大学柔道では勝てない。15人の粒のそろった選手をそろえるため、日ごろのチームワークが大事になる。分け役が伸びれば、それに対抗して取り役も強くなる、両者が毎日の練習を通じ切磋琢磨(せっさたくま)して技量を伸ばしてゆく姿が理想だ。
残念ながら、私自身は大事なところでけがに泣き、大した戦績を残すことはできなかったが、この4年間で得たものは大きかった。まず、「勝つ」ことよりも「負けない」ことの重要性に気づいた。その後の人生で、逆境にはまって動きが取れない局面に遭遇したことが何度もある。そういうときに、次の展開を信じて運動量を維持したまま耐え忍ぶ精神力はこのとき培われた。また、先輩の技や柔道の手引書を参考に、無駄とも思える練習を延々と続け、自分独特の技を体に彫りこむように作り上げてゆくのは楽しかった。短い脚を生かし、隙あればどんな態勢からでも関節を取る自分独自の技の体系が完成しそうだったが、4年の7月には間に合わなかった。留年して技の完成を図ることも考えたが、これまで一緒にやってきた同期の仲間なしで苦しい練習に耐える自信がなかった。何よりも苦しい、痛い、臭い、暑い、寒い練習にともに耐えた仲間こそが一生の財産になった。
先日、久しぶりに母校の柔道部に行き練習に参加させてもらった。すると、この40年間で技が進化している。それぞれの選手が自分独特の技(どこの手引書にも書いていない)を作っているのだ。これは、七大学柔道にしか見られない現象だ。
40年たった今、あの時未完に終わった技の完成を図りたい誘惑にかられる。今でも腕を手繰って関節を取りに行く夢を見て飛び起きることがある。青春はまだ続いている。

2020年1月17日 フジサンケイ・ビジネスアイ 許可を得て掲載