野火 大岡正平著

これは、学生時代から読まねばならないと思っていた本の一つだった。テーマの重さから、読む気力が湧かず、今日まで延ばし延ばしにしていた。中原中也を読んだ勢いで、読んでみた。

主人公の田村はフィリピンに派兵された。そして、愚劣な作戦の失敗で敗北しつつあり、全体として強盗集団に成り下がった日本陸軍の中にいた。無理な行軍で肺病が進んで喀血し、食糧略奪行に耐えない彼は、本隊を追い出されたが、食糧を持たない患者を病院は受け入れない。行く場所のない彼は、同様の境遇の見捨てられた日本兵の集団に入る。病院は米軍の砲撃を受けて破壊され、主人公はフィリピン山中を彷徨する。その間に、日本軍は米軍の砲撃で壊滅し、日本兵は野盗集団となって、個別に現地民から食糧を略奪しはじめる。主人公は、住民の反撃にあって死んだ日本兵の死体の群れを発見したり、その村に戻ってきた現地民の女に遭遇して、射殺してしまったりする。

さらに主人公の彷徨は続く。日本兵たちは、餓鬼の集団となり、飢餓や病気や銃撃で死んでゆく。あまりの飢えに主人公には周りの死体が食糧に見えてくる。実際、臀部が切り取られた死体を見かけるようになる。遂に死にかけたときに再会した昔の仲間二人は、死にかけた同朋を殺してその肉を食って生き延びていた。銃で狩ったという「猿の肉」を食べて回復した田村は、次第にその事実を理解する。狩るための銃弾が尽きたとき、自殺用の手榴弾をめぐって争いが起きる。生き残った田村は、その後の記憶がない。「仲間」の肉を食ったかどうかも定かではない。いくつかの幸運が重なって、米軍に救助されて九死に一生を得たようだ。

主人公の「地獄めぐり」は、人間は本質的に野蛮な猿であり、ちょっとした食糧不足で、簡単に強盗、野盗、殺人者、共食いとあらゆる悪徳を噴出させる存在に変わることを見せつける。「地獄めぐり」の果てに、最後に主人公が感じたのは、神の救いであったという。あまりに悲惨な体験をしてしまったものにこそ、神は姿を現すのかもしれない。

人間は食べ続けなければならない。1週間も食糧を与えなければ、人間は礼節を忘れ、餓鬼となってあらゆる悪徳を表す。食糧こそ大事である。私たちは幸いにして少なくとも飢えることはなかった。その意味では、大変幸せな人生を送ってきた。次の50年が同様である保証はまったくない。世界の人口は、恐るべき勢いで増えている。今のところ、流行病、飢餓と戦争などの不幸な事象以外で、人口増加が止まった例がない。われわれは英知を示さなければならない。また、来るべき食糧不足の時代に備えなければならない。